山本奈緒美
現在の仕事内容は?
現在、ボン市のヨハネス・シュタイナー学校(Johannes Schule freieWaldorfschule e.V.)で主にオイリュトミー(Eurythmy)授業や劇発表でのピアノ伴奏、また、ケルン市にあるパリツカヤ音楽学校(Anna.Palitsukaya Musikschule)で少年少女合唱団のピアノ伴奏・青少年室内アンサンブルでピアノ奏、ケルン日本語補習校の幼児部講師、そのほか個人でピアノレッスン、歌曲やダンスの伴奏・ソロや室内楽の演奏活動などをしております。
四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?
地元の公立中学校3年のある日、最終的に受験校を決める少し前に、四天王寺高校を受験していた夢を見たことがきっかけになりました。そして結局その夢は正夢になったのです。当時の担任の先生は、将来的に音大に行きたいのならば、四天王寺高校で準備をしたほうが地元の公立高校に行くよりも良いだろうということを話されていました。実際、四天王寺高等学校は、当時から、(音楽ではありませんが)バレーボール、フェンシングなどで表彰される優秀校でした。
大学選びから就職までの経緯は?
子供のころから、家から通える圏内の音大、大阪音楽大学に行きたいと思っていて、演奏技術だけではなく、ソルフェージュ、聴音、音楽理論など専門の勉強を続けていました。結局、大阪音楽大学短期大学部器楽学科ピアノ専攻科を出て、ヤマハ音楽システム講師として12年間勤めました。
ヤマハのシステム講師時代に様々なコースの講師経験と並行して、作曲・即興演奏・楽曲アナリーゼ・エレクトーン・ドラム・シンセサイザーなどを次々習い、ジャズ・ポピュラーなど色々なジャンルの音楽に取り組みました。が、もう一度、クラシックピアノを深く勉強したいという渇望が湧き上がり、教授との出会いにも恵まれ、ヤマハの1年間の短期離職制度を利用してフランス留学。1年があっという間に過ぎた頃、更に時間をかけて学ぶ決意をし、休職していたヤマハ音楽振興会を退職。その後さらに4年間、パリでピアノと室内楽を学びました。ピアノ教授ディプロムと室内楽の高等ディプロムを得、国際コンクールにも参加。その後ドイツに移住しました。
高校・中学での思い出は?
創作ダンス発表のために、グループであれこれ振付を考えて練習をしたこと、また、合唱の発表のために練習をしたこと、授業内容が面白く、休むのが嫌で少々の風邪でも登校したこと、体育祭の仮装行進で男装をしたこと、食べ物を提供した文化祭、毎日の般若心経と仏教の教え、正座がきつかったけれど生涯忘れることのできない思い出になった高校3年生の授戒灌頂などたくさんあります。
高校・中学生活で身に付いたことは?
学校時代は色々な友達と出会います。人の中では学ぶことが沢山。人間の学びです。
友達同士で夢を語り合い、刺激を受け、落ち込んだことがあっても励ましあいました。私は友達に非常に恵まれていたと思います。それぞれの道に進んでいっても、本当に良い友人たちに出会えたことが人生の宝になっています。
後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。
たくさんの可能性を秘めた将来を担う皆さん!四天王寺高等学校・四天王寺中学校は、伝統のある素晴らしい学校です。中学・高校時代はきっとあっという間だと思います。勉強に、スポーツに、励んでください。皆さんはまもなく夢に向かって大きく羽ばたいて行かれますね。皆さんの人生の絵はどのようになるのでしょう。起こることは何事も必然で、その人にとって意味のあることです。人生山あり谷ありといいますが、しかし、皆さん、何があっても大丈夫。その人が乗り越えられないことは起こらないそうです。どうか、かけがえのない『今』という時間を生きてください。皆さんが素敵な女性へと成長されますようにお祈りいたします。