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森本睦子

森本睦子

(経 歴)

四天王寺中学校 1992年2月卒業
四天王寺高等学校 1995年2月卒業
大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部航空宇宙工学科 1999年3月卒業
大阪府立大学大学院工学研究科航空宇宙工学分野 修士課程 2001年修了
総合研究大学院大学物理科学研究科宇宙科学専攻 博士課程 2006年修了 博士(工学)

現在の仕事内容は?

森本睦子

 国立天文台研究員、宇宙航空研究開発機構(JAXA)プロジェクト研究員、日本学術振興会RPD(JAXA)、法政大学技術員を経て、現在は慶應義塾大学日吉物理学教室教員。専門分野は惑星探査機の軌道設計。
 大学院修士課程の時から、小惑星探査機「はやぶさ」の次のプロジェクト(「はやぶさ後継機」)を立ち上げるグループに入り、軌道の設計をしていました。2003年の博士課程の学生の時にちょうど小惑星探査機「はやぶさ」が打ちあがり、その運用に携わりながら「はやぶさ後継機」の立ち上げを続けました。「軌道設計」とは、惑星探査機の通り道を設計することです。軌道を設計するとともに探査機のおおよその構成も決まっていくので、プロジェクト立ち上げの早い段階で出番があります。「はやぶさ後継機」の他にもいくつかのプロジェクトの立ち上げに関わって来ました。「はやぶさ後継機」は2011年に「はやぶさ2」としてプロジェクト化され、「はやぶさ」プロジェクトは2013年に解散されました。ちょうどそのタイミングでJAXA研究員としての任期も終わったので法政大学に移り、その後、現職である慶應義塾大学日吉物理学教室の教員となりました。
 惑星探査プロジェクトは立ち上げから終了まで長い時間を費やすために(「はやぶさ」「はやぶさ2」ともに20年くらい)、1つのプロジェクトに最初から最後まで関われる人は多くないのですが、壮大な計画の一部でも担う事で、空を見上げて想いをはせることができることに魅力を感じます。

四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?

 元々中学受験をするつもりはなく、放課後バスに乗って祖父母宅に帰っていた時期に、遊び相手もいなくて暇だったので、祖父母宅の近所の塾に通い始めました。「塾」といっても、長机に2人ずつ床に正座して授業を受けるスタイルの「家塾」でした。そのうちに塾の先生から中学受験を薦められました。四天王寺中学を選んだ理由は、1つ上の姉が四天王寺中学校に通っていた事が大きかったと思います。

大学選びから就職までの経緯

 人それぞれ色々な要因があると思いますが、私の場合は、小さい頃から「飛行機はどのような仕組みで飛ぶのか」に漠然とした興味がありました。また、小学校に上がる前に洪水被害に遭い、保育園のトイレが壊れたため、花壇に板を渡して臨時トイレを作ってもらいました。その時に、トイレの「仕組み」を知って「なるほど!」と思いました。中学の時には科学雑誌「ニュートン」の宇宙関連の記事を読んで、このような記事が書ける人になりたいと思った事もありました。
 高校2年生までは全員物理の授業がありましたが、当時の四天王寺高校は物理の先生が少なかったため、地学(特に天文)を専門とする先生に物理を教わりました。ある日、ちょうど物理の授業時間中に「水星の太陽面通過」という天体イベントがあり、授業を中断して先生とクラスのみんなで屋上へ見に行きました。小さな水星の陰が太陽の前をすーっと通過していくことに驚き、興味を持ちました。
 高校2年の終わりに、選択科目で生物か物理かを選ぶ時に、好きな物理を迷わず選びましたが、志望学部に関しては周囲の友達の多くが医・歯・薬学部志望だったこともあり、なんとなく「薬学部」と書いて提出しました。すると、当時の担任から「本当は工学部に行きたいのでは?」と言われ、その時に工学部の存在を初めて意識しました。そこから「航空工学」という学科がある事を知り、京都大学工学部の航空工学科に進学したいと思うようになりました。
 実際に進学した大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部航空宇宙工学科は「C日程」と呼ばれる、前期/A日程・後期/B日程とは別の日に試験がありましたので受ける事にしましたが、当時の四天王寺高校では現役で大阪府大工学部に合格しても進学しないで一浪を選ぶ人が多かったです。
 高校3年生の1月にセンター試験(今の共通テスト)を受けた2日後に阪神淡路大震災が起こり、想定とは全く異なる2次試験までの道のりとなりました。「ある時突然、日常が奪われる」事をその時に悟り、考え方も変わっていきました。
 入試結果は前期・後期共に不合格で、C日程の大阪府立大学だけ合格しました。大阪府立大学に進学するか、一浪するか、迷った私は高校に行き、そこで高校2年生の時の元担任と、なぜか、今まで習った事のない先生とも話をしました。その時に先生方から「人生とは」という話がありました。そして、「何に迷っているのか?大学名か?やりたい学科に受かっているならそちらに進学して、さらにやりたい事があれば、大学院をもう一度選びなおしたらよい。」とアドバイスを受けて、大阪府立大学工学部航空宇宙工学科に進学する決心をしました。
 大学で講義を受けると、高校の物理の時間に観た水星の太陽面通過の軌道計算ができる事が分かりました。そこで惑星探査機の軌道設計に興味を持つようになって、研究テーマとして選びました。修士の時には現JAXA(当時は文部科学省宇宙科学研究所)の先生に研究を指導してもらうようになり、小惑星探査機「はやぶさ」の次のプロジェクト「はやぶさ後継機」の立ち上げのメンバーに入りました。修士課程卒業後は、地元関西の会社に就職しましたが、2年後にやはり宇宙探査の現場で仕事をしたいと思って退職し、JAXA/宇宙科学研究所で博士課程の学生として軌道設計の研究を再開しました。

四天王寺高等学校・中学校の一番の魅力は何だと思いますか?

 四天王寺高校を卒業して、もう30年近く経ちます。子供のうち一人はキリスト教の中高一貫校に通っており、もう一人は公立中学を卒業して公立高校に通っています。子供達のおかげで、異なる宗教や、公立中・高の学校生活を比較することができました。どの道を選んでも素晴らしい中学・高校生活を送る事ができると思います。
 四天王寺中高に通って特に良かったと思う事は、実は仏教に触れていた事です。大人になってから、自分の考え方の根底には仏教が根ざしている事に気づかされました。仏教の授業で「人生は修行の場」と聞いた事があり、それがずっと心の中に残っていて、上手くいかない事があっても当たり前と思っている所があります。学校がお寺の境内にあるので、鐘の音にも癒されていたかもしれません。また、女子校であったことも、ジェンダーを意識せずに振舞える要因になったと思います。6年間女子しかいませんので、「これは男子がする、これは女子がする」という切り分けはありませんでした。他には、公立中・高に行くと先生が人事異動で替わってしまうのに対して、四天王寺のような私立では30年経っても、自分が教わった先生方が変わらずいらっしゃる事です。ここ数年で四天王寺中・高が懐かしくなり、中学3年間担任だった先生に再会することができました。多感な中学生の時期を、一度も学校を休みたいと思った事が無かったのは、担任の先生が毎日楽しくなるよう努力してくださったからだと、30年経って自分の子供が中学生になったことで、ようやく気づきました。

高校・中学生活で身に付いたことは?

 バイタリティのある生徒が多く、四天王寺中高時代の私はあまり目立っていなかったと思いますが、バイタリティがあるのが普通だと思っていたので、卒業後も活発に生きてこられた事です。
 中学から体育の一環として毎週ダンスの授業があったおかげで、ダンスが好きになり、高校からはダンス部に入りました。ダンス部時代は、ダンスはもちろんのこと、同級生だけでなく中学1年生から高校3年生までの学年で一緒に活動すること、何かを運営することや作り上げる事が身につきましたし、自分が着たい衣装を自分でデザインして作る事も身に付きました。その後も、大学、社会人でも踊る事は続け、おかげで豊かな人生となりました。

受験生へのメッセージとアドバイス

 「人生の道は1つだけではありません。色々な道を通れば、色々な景色が見えてきます。」これは先ほど書いた、進学か一浪かを迷った時に相談した先生に言われました。私も履歴書に書ききれないくらい転職を繰り返しましたが、何かを乗り越える度に、大小ありますが、満足感を感じています。皆さんの人生でも、どこかで想定外の出来事が起こるかもしれません。その時どのように考えるか、どのように乗り越えるか。そうしたいわば「生命力の源」となるような力を、中学・高校生の間に身に着けてほしいです。そして、不幸や失敗を恐れないでほしいです。そこを突破した先には、新たな道が開け、想像もしていなかったチャンスが待っているかもしれません。そのチャンスをつかむためにも、勉強だけでなく様々な事にチャレンジして、自分自身としっかりと向き合ってほしいと思います。

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