荒堀仁美
(略 歴)
大阪生まれ
大阪大学医学部卒業
大阪大学医学部附属病院、市立池田病院、大阪府立母子保健総合医療センター、
長野県立こども病院での勤務を経て、現在、大阪大学大学院医学系研究科小児科学講師
一児の母として家事、育児、仕事に奮闘中
(資 格)
小児科専門医 小児科指導医
周産期専門医(新生児) 周産期専門医(新生児)指導医
臨床遺伝専門医
現在の仕事内容は?
大学病院では、診療を行う「臨床」、医療の発展に役立つような最先端の「研究」、大学としての「教育」の3つのお仕事をしています。
臨床では、新生児を専門とする小児科医として働いていて、毎日、かわいい赤ちゃん達の診療を行っています。たくさんの専攻医や研修医の先生がいますので、その指導もしています。
研究では、最先端の技術を用い、臨床の現場で役立つような研究テーマを考えたり、実際に実験したりして、その成果を発表しています。教育では、大学医学部の講義を担当し、教員免許はないものの、学校の先生のようなお仕事もしています。仕事内容はさまざまで、仕事量も多く大変だと思うこともありますが、とてもやりがいのある仕事です。
四天王寺高等学校・四天王寺中学校に入学した理由は?
関西屈指の進学校であり、自分の夢をかなえるのにはここだと思って入学しました。
大学選びから就職までの経緯は?
小学生のころから小児科医になりたいという漠然とした夢があり、大学の医学部を目指していました。大阪大学を選んだのは、臨床面でも研究面でも申し分ない大学だったからです。現役合格はできなかったのですが、1年間さらに勉強をして大阪大学に入学でき、本当によかったと思っています。医学部は6年間勉強する必要があり、卒業時に医師国家試験を受けます。合格すれば晴れて医師として働くことができるのですが、当時は今と異なる研修制度でしたので、大学の小児科医局という組織に入って、大学病院での研修をはじめました。研修が修了してからは、小児科の中でも新生児といって生まれたばかりの赤ちゃんを専門に診療する分野を選びました。生まれた瞬間のとても大切な時期に関わる素敵なお仕事です。専門医の資格や指導医の資格もステップアップとして取得しました。結婚、妊娠、出産、子育てとの両立に不安を感じていたのですが、すべて仕事をする上で非常に大切な経験であり、医師としてのキャリアアップになったと考えています。
高校・中学での思い出は?
とにかく、みんなで仲良く、一生懸命いろいろなことに取り組んだことが印象に残っています。合唱コンクール、文化祭、体育祭での出し物など、勉強も行事もみんなで一緒にできたからこそ、あんなに頑張れたのだと思います。今でも卒業生同士で話をするとき、本当に楽しかったこと、充実していたことなど、たとえ学年が違う人とでもいろいろな話で盛り上がります。
高校・中学生活で身に付いたことは?
中学に入学したときは、慣れない電車通学に加えて、勉強量の多さに驚く毎日でした。しかし、それをこなしていくことで、自然と実力が身についていることに気が付きました。試験前など、本当にしんどいなと思うこともありましたが、今でも「あの時にあれだけ頑張れたのだから…」と、仕事をするパワーになっている気がします。
後輩(在校生・受験生)へのメッセージとアドバイスをお願いします。
中学・高校時代は、あとで振り返ってみると、その後の自分の人生の選択肢を広げる意味で、とても大切な時期になっていたと実感しています。ぜひ、勉強も頑張って、ほかのことも頑張って、いろいろなことに一生懸命取り組んで欲しいと思います。